勉強が出来る、というのはもはや才能
私は昔勉強が嫌いだった。
やれ数学だ、やれ英単語だ・・・
なんのためにやるのかよくわからなかった。
ポケモンで相手がサンダースを出してきたら、こっちがどんなポケモンを出すべきか、なんて考えているほうがよっぽど楽しかったのだ。
だからあまり勉強はしなかったし、出来なかった。
大学受験の時、偏差値40の大学に落ちた。
そして1年浪人したため「いくらなんでもこいつぁマズイ!」と死ぬ気で勉強したときだけが、私の勉強の歴史である。
もちろん大学に入ってからはまともに勉強などしていない。
そして30代中盤の今になってようやくなんのために英語の授業があるのかわかってきた。
英語が出来ると情報量が飛躍的に高まるのだ。
海外に行って、英会話でカッコよくコミュニケーション!なんてことよりも、私は英語の持つ情報量のすさまじさに最近は興味が出てきて仕方がない。
日本語をメインで使う人は1億人ちょっとだ。
しかし英語を使う人は18億ほどいるとのこと。
これだけ規模が違えば、英語以外のネイティブでも英語を使うに違いない。
インドも英語が通じる。
そうなれば、英語で得られる情報は日本語の比ではないのだ。
ましてやインターネットで即時に得られる情報も下手をすると日本語の10倍を軽く超えてくるように思える。
図書館で蓄積された情報、それも10倍を超えるだろう。
また「異国の文化での情報がこれだけある」というすさまじさがある。
日本語で語られる海外の外国人の生の声は少ないと思われる。
そしてそれは日本人の目を通した生の声で日本人であるバイアスがかかると思う。
フィリピンやインド人がブログを書いたならば、それを読むのは面白そうに思える。
そうやって色んな海外の情報に触れるだけで、日本で楽に生きていくためのヒントすら膨大にあるのではないかと思う。
なにしろ日本人は真面目すぎると良く言われるわけで。
ちなみに化学も色々と役に立つ。色々とね・・・
そして思う。
学校でのお勉強が出来る人は本当に才能があると。
おそらく何らかの大きな意味を各科目が持っていることをあらかじめ、なんとなく分かっていたのだろう。
そうでないと、ただの記号のような文字列を暗記し続けることは苦痛すぎて出来ないはずだ。
学生時代で相当な差がついてしまったと思う。
そして、もっと恐ろしいことがある。
「勉強が出来る人は、そのあとも勉強を続けているだろう」
私が会社から帰って、ビールをドカンと一杯やっているところで、節税について学んでいるかもしれない。
英語が出来る人は、英語のサイトを見てタックスヘイブンについて学んでいるかもしれない。
私は毎日ドカンと一杯やっているが、継続して勉強が出来る人は毎日勉強している人もいるかもしれない。
それは下記のような構図を作りだすのだろう。
■ビール!ドッカン!たっぷり流し込みました!!!な私
VS
■英語が出来、化学を学び、節税を学び、地理を学び、世界史を学んだ人。
貿易と流通を学び、経済学を学び、コーチングとリーダーシップを学んだ人。
プログラミング、エクセルVBA、簿記を学んだ人。
なんということだ。
いくらなんでも差が開きすぎた・・・・・
(ベルギーのビールを飲んでいればまだ差はそこまででもなかったかもしれない!?)
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ここまでの蓄積の違いを作ることが出来る、となると、もはや努力などではなく、地頭の差、才能の違いなのかもしれない。
毎日勉強する人は尋常じゃないくらい「強い」