テレホーダイのインターネット時代は熱かった
今週のお題「わたしのインターネット歴」
私は高校入学と同時にパソコンを買って貰った。それがインターネットとの出会いだった。
高校入学と言っても、それは20年も昔。
メモリなんて32MBも積んでいれば大層なほうだった時代。
しょっちゅうフリーズもする。Windows95といえば私は青画面が思い出深い。
なにか負荷をかけると、すぐ青画面になって再起動しないとならないのだ。そんなパソコンは当時20万円もした。
そう考えると今のパソコンは安くても良く動く。
そんな今となっては骨董品のようなパソコンと共に始まった高校生活。
私がパソコンでやっていたことはBM98とチャットだった。あとはもう時効と思うが、MP3の入手か。
当時、今のGoogleマップのような凄まじいものはなかった。
他にはニュースを見るかテキストサイトを読んでいたような気がする。
BM98とは音ゲーのビートマニアをパソコンで再現したものだ。
ネットに有志が作った曲がアップロードされていて、それをダウンロードすると、パソコン上でビートマニアのようにその曲を叩くことができるのだ。
高校時代はアルバイトをそんなにしなかったので常に金欠。ゲームセンターでビートマニアはワンゲーム200円した。
結構高かったのだ。
そんな中で無料で入手出来るビートマニアとして、BM98は私に取っての救世主だった。キーボードが鍵盤変わりになるので、一度ダウンロードさえしてしまえばまさに無料だったのだ!
ただし時代はダイヤルアップ全盛期。ようやくISDNが出て来たというところ。
10MBなんてダウンロードするには1時間くらいかかったんじゃないかという時代だった。
しかも電話回線を使っているため、インターネットに繋いでいる時間の経過とともにお金が請求されていくのであった。
1時間もネットをすれば数百円は取られたような気がする。
そんな中、1時間ダウンロードしてようやく1~2曲が手に入る・・・という壁があった。金欠な私には壁はどうしようもなく高い。
・・・といいつつちなみに電話代は親の負担だ!
そんな中、テレホーダイが登場した。
テレホーダイは夜の23時から朝5時までだっただろうか、その時間ならいくらインターネットに繋いでも料金が定額という超すぐれもの。
これは私にとっての革命だった。
いくらでも、あの超楽しいインターネットが出来てしまうのだ。
ただ23時になるとテレホタイムということで一気に回線が混み合い、繋げるかどうかの試合が始まる。
無事繋げれば天国だし、23時で繋がらないとなかなかその後もインターネット接続が出来なかった思い出がある。
繋げればクランキーなどの有名BM98曲を落としながら、侍魂のようなテキストサイトを見て、チャットをしていた。
当時チャットは2つを同時進行する2窓なんてのが流行っていて、あっちに呼び出されている忙しい風を装うのがナウだった。
「○○さん?」
「あっ、向こうで忙しくてこっち見てなかったメンゴメンゴ!」
みたいな感じだ。いつの時代も友達多い風は強い。
そして時には隠しに隠された音楽のMP3を謎解きしながらダウンロードしていた。
画像ファイルの拡張子を変えて、とあるソフトで解凍したり、結合したりするとMP3が手に入るというようなものだ。
これは私の拡張子の理解を深めた。パソコンの大先生である。
今も会社の色んな人と比較してもそこそこパソコンは使えていると思うが、それは昔のインターネット時代があったからだと思う。
チャットはチャットで色んな人が毎日ログインしてきて、誰かはわからないが、顔がみえないことと、後腐れがないことから、すごくチャットは賑わっていた。
大したことない話でも高校の狭い世間しかもってなかった私には楽しく感じられた。
大人もいれば年下もいて、世代関係なく話せていたと思う。
高校時代は高校のクラス単位かアルバイト先だけが世間のすべてだった。金もなく長距離旅行や海外旅行もできない中、インターネットに世界を多少広く見せてもらえた気がする。
そしてなんとなく思う。
あの当時話した人と、東京のどこかですれ違っていたりするのだろうか。
あのときのあの人たちは今何をしてるんだろうか。
なんかちょっと気になってくる。
あのときようやく庶民に広まったインターネットってのは、今となっては本当に世界を変えたような気がする。
以上