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近所の野球部の中学生がすごく可哀想に思える

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近所の中学校の野球部の部員が不憫に思える。
その中学校ではあらゆる部活が休日に練習をしていたりするが、野球部だけちょっと難を感じるのだ。

その野球部が他の部活と違っているのは「声出し」だ。近所迷惑もいいところ、というくらいずっと叫びまくるのである。ずっと。

他の部活が練習していても、私は全くうるさいとは思わないのだが、野球は常軌を逸した叫びをずっとさせられ続けており、家の中にいてもうるさいと感じてしまう。

これは異常に思えてしまうレベルなのだが、顧問が「声出し!声出し!」とずっと執着し続けているからだろう。

しかし、中学生は判断力に欠ける。クラスという狭い集団主義の単位で生きており、世間も狭く学校で教えられたことがほぼ全てになってしまう。

また、今のご時世部活の日々の練習状況を親が知ることはあまりないだろう。

だから「顧問に死ぬほど声を出せ、と言われ続けたらそれに従うしかない」のだ。

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野球部は練習時間も相当長い。朝は朝練をやっている。毎日かはわからないが、夕方も練習しているだろう。
そして土・日も練習しているので、週6~7日の部活だ。

これだけやっているのだから野球部は強いのか?と思い、ネットで戦績を見てみる。
がしかし、直近の大会は二回戦で負けていた。対戦相手が悪いのか?と思ったら、その対戦相手は三回戦で負けていた。

何でこんなことになっているのか。勝手に想像を始めてみる。
顧問の視点で見てみると・・・「声出しが出来ている」というのは、一見その部活がしっかりしているように見える魔法のアイテムなのではないだろうか。
軍隊のように揃って大声で声が出ていれば「教育が行き届いている」という印象を周囲に持たせることが出来るだろう。

ただ、声出しというものは常にずっと毎日大声で叫べば良いというわけではないと思う。
声出しの狙いはなんだろうか?思いつくまま書いてみると

・チームプレーを円滑にする(フライを誰が捕るか)
・チームの一体感を狙う
・テンションを上げ、練習の活気を生みだす
・相手チームを威圧する
・劣勢時、精神的に折れないようにする
・優勢時、勢いを維持する

練習に声出しを混ぜるのは良いが、叫ぶかのような大声を練習の最初から最後まで強制するのは、野球部員が可哀想に思える。
そこまでのことは意味がない。声出しすべき場面を想定して声出しをするからこそ意味が生まれるのだ。

顧問からすると相手チームに対してや、たまに野球部員の親が試合を見にきたとき、揃って声出しが出来ている部員は見栄えが良く、それっぽく思わせることが出来るメリットがある。顧問はそのメリットがあるから、声出しばかりやらせたいかもしれない。

だが、世間が狭く判断力に乏しく、サッと部活を辞めることも出来ない部員にしたら酷い迷惑だろう。(中学生は部活を辞めたら野球をやる場所が無くなってしまう。友人が減るかもしれない。集団からの疎外はもっとも中学生ならば恐れることだろう。)

私からすると、近所の野球部はすでに声出しをマスターしている。だから過剰にやる必要はない。
むしろチームに足りないものは何か、勝つために必要なものは何かを常に問いながら練習をしないと部員が可哀想だと思った。


以上