小学生時代の趣味を思い出し、懐かしみながら今に繋げる試み⑧【プラモデル】
幼稚園から始めたのか、あるいは小学生に入ってからだったか、プラモデルは中学生に入るまでやっていた私の中での一大趣味だった。
世の中のブームもあったと思う。
当時の小学校低学年のバイブルてある「コミックボンボン」でSDガンダムのマンガがあり、そこからBB戦士という確か300円で買える2~3頭身のプラモデルが派生して売られたのだ。
BB戦士はこういったものだ。
更にSDガンダムの関連はコミックボンボンで漫画化され、ファミコンのソフトでもRPG(ナイトガンダム物語)やシミュレーション(カプセル戦記)でゲームが発売されていた。
当然私はカードダスに始まり、ガン消し、BB戦士のプラモデル、8頭身のガンダム、ファミコンゲームまですべてやっている。大学生になっても連邦VSジオンなどのガンダムゲームをやっていたくらいだ。
ついでに小学校時代はゾイドやワタルまで買っていた。
今でもおもちゃ屋にはプラモデルが山のように置かれていたりするが、昔は今よりももっとプラモデルのブームは強かった気がしている。私は家の近所とは言えない、自転車で30分近くかかるところに、渋いプラモデル屋があり小学生時代は良くそこへ通っていた。
その渋いプラモデル屋には何回通ったかわからないが、毎回悩んでは買わず、月に一つも買わないくらいなのに、月に3回くらいは何か入荷されてないか様子を見に行ったものだ。
■プラモデル関連で印象的な出来事
・クリスマスプレゼント
小学校何年生かは覚えていないが、クリスマスプレゼントでプラモデルを熱望していた。
私も兄もサンタに欲しいプラモデルがあり、サンタがそれをくれると信じていたため、12月25日をめちゃくちゃ楽しみにしていたのだ。
私は「ゾイド」の「シールドライガー」、兄は「逆襲のシャア」シリーズの「サザビー」だったと思う。
ちなみに我が家のクリスマスプレゼントシステムは、定番だが深夜に親がコッソリと枕元に置いておくシステムである。しかし、クリスマスでケーキを食べ、ツリーに電球を点けて、すでにはしゃいだ後のため、朝までぐっすり寝ていて、親がプレゼントを置く場面に遭遇したことはなかった。
そして、待望のクリスマスの朝を迎える。枕元にやはり靴下を模した大きな布袋!
兄とすぐに開けてみる。
私の側は・・・・あった!シールドライガー!
・・・?
ヘル・・キャット?!?
・・・今思うと予算の関係か、あるいはおもちゃ屋に行くのがぎりぎりすぎて狙ったものがなかったのかもしれない、と思える。昔は通販も発達していなく、ネットで入荷情報も得にくいため大変だったと思われる。
そして兄はというと、なぜか5つくらい箱があったのだ。
144分の1のサザビーとは全く違う、ワタルやBB戦士などの詰め合わせとオルゴールが一つ。
いまだになぜオルゴールだったのかは親に聞けていないが、兄弟で兄のプレゼント価格を総額で上にするために、調整したのだろう。
■サザビー
■現実はこんな感じのがきたのだ。
ちなみにオルゴールの曲はビートルズのイエスタデイだった。親がこれはビートルズのイエスタデイという曲だ、と教えてくれたのだ。
こうして少し微妙なクリスマスは終わったのである。
ただ希望通りのもの、とはいかなかったものの、新しいオモチャはそれ自体が嬉しく、正月頃にはそのオモチャで楽しく遊んでいた。
ちなみに小学校6年生のときは、クリスマスプレゼントは親がコッソリ置いている可能性を確認するために、クリスマス前日にひたすら家中を探したが、プレゼントは見つけることが出来なかった。
まさかこの動きを親に先読み察知されていたというのか!?
・近所のスーパープラモニイチャン
小学校時代は社宅のマンションに住んでいた。
当時は子供の数も多く、マンションの子供たちとその近所の子供たちでもそこそこ交流があった。
しかし近くに住んでいる中学生とは、私が小学校低学年だったこともあり、交流がなかった。あるとき2つくらい上の近所のニイチャンがちょっと来いよ、と呼んできた。
そして呼ばれて行ってみると、マンションの別の階の家に招き入れられたのだった。
その中学生のニイチャンの部屋に入ると、100体はあろうかというプラモデルの山があったのだ。
そのときは中学生ってやっぱりすごい。早く大人になりたい、と思ったものだ。
すげーすげー、とはしゃぐ私たちに気を良くしたか、あるいはプラモデルは捨てるほどあるからか、一つだけプラモデルをもらったのである。
それはゼータプラスだ。いまだにゼータプラスはちょっと好きなモビルスーツの一つで、貰ったものとは別で自分でもプラモデルを購入したこともある。
・デスザウラーの思い出
ゾイドは何歳から何歳までハマっていたか全然覚えていない。たまにゾイドの実写の本を親に買ってもらい、どれどれがカッコいい、という感じで何度も何度も同じページを見返していた。
そして、その中でも最強の敵キャラ、デスザウラーはかっこよさも圧倒的だった。
これは先に挙げたクリスマスプレゼントより後の出来事のような記憶がある。
帝国軍の最強ゾイドであるデスザウラーは背中のファンが回り力を溜めて口から粒子砲を出せるのだ。
そしてプラモデルになっても、圧倒的な大きさで子供が手で持つようなサイズではなかった記憶がある。
私の記憶の中だが、高さが40センチくらいはあったのではないかと思っている。
そして尻尾も30センチ以上あったような記憶だ。
だが、いつしか長い尻尾はどこかで折れ、いつ捨てたのかわからないが我が家から消えていたのである。
さようならデスザウラー・・・
・最もでかいSDガンダムプラモか?ジェネラルガンダムの購入
確かデスザウラーのあとの出来事だったと思う。
SDガンダムシリーズで最高峰のプラモデルが出ることになった。ジェネラルガンダムという名称だ。
サイズは体積で言えばゆうにこれまでのBB戦士の10倍では済まないような圧倒的サイズ、もちろん片手で持てるようなものではないのだ。
縦も横も30センチ以上あるのではという特大サイズ。プラモながら、「キャタピラ」が付いていて、電池を入れるとキャタピラで前後に進むのだ。
私は誕生日かクリスマスか忘れたが、これを買って貰った。そしてパーツを付け替え付け替え遊んだ。
ジェネラルガンダムは、中学、高校、大学、そしてそのまま社会人になっても部屋に置かれていた。私の部屋の守護神である。
だが近年、引っ越しを機に捨ててしまった。
新居に持ち込むようなものではないと思ってしまったのだ。
さようならジェネラルガンダム・・・・
ちなみに上記のサイトくらいしかジェネラルガンダムを詳細に紹介しているサイトはないと思われる。
そして、上記のサイトは懐かしのSDガンダム関連が100以上掲載されていて、ちょっと懐かしすぎてニヤリとしてしまった。グリーンベレーガンダムなんかも頭が光るギミックがあり、昔持っていたことを思い出した。
・本格的なプラモを作りたくて色を塗る
小学校高学年、バスケとスーパーファミコンにどはまりしていた時代なのだが、クラスの友達と「本格的なプラモ作ろうぜ」ということになった。
どちらが言い出したのかわからない。きっかけは地元の模型屋に行って、そこに飾られていたガンダムマークⅡがあまりにも渋くてかっこよかったからだ。
私はドライセンを選んだ。
友達は伝統と信頼のファーストガンダムを選んだ。
ドライセンはベルボトムパンツのような脚部とビームナギナタがカッコいいと思ったからである。
そして、番手の数字が大きい細かい紙やすり、塗料、溶剤、ハケ、パテまで購入したのだった。
家に帰りこれまでとは違った熱意でドライセンを組み立て始める。
ニッパーで各パーツを切る段階で気を使い、切ったパーツも丹念にヤスリがけをする。
そして接合部をパテで埋めていく。
ここまでは完璧だった。これまでに無い出来なのは明らかだった。
そして色を塗る。部屋が溶剤くさくてしょうがない。
丁寧に薄く何回か重ね塗る。乾かして更に重ね塗りをする。。。が!
しかし、前回塗った色と同じ色にならないのだ。微妙な色違いが発生して色ムラになってしまう。
何回かチャレンジしはしたが、溶剤の臭いもきつく、最終的には適当になり、そのままクリアを塗り仕上げてしまった。
友人はというと、マスキングなど当時は出来なかったため、青、赤、黄色が少しずつはみでて、酷い仕上がりになっていたのだった。
もしかしたらこれが最後に作ったプラモデルかもしれない。
引退は負け試合だったのだ。
■これらの趣味はやって良かったか
細かいものを作り上げていくことは大変勉強中になった。
ニトリの自分で組み立てる家具もプラモデルと全く同じように組み立てに苦労しない。
車にドラレコを着ける時にどんな配置にどんなパーツで固定するかなど、そういう方面はプラモデルの知識が応用されている気がしている。
更にたくさんのプラモデルを折った経験から、プラスチックの強度や弱い部分も嫌というほど知った。
補修方法も学んだのだ。アロンアルファをプラモにつけても結構すぐまた折れることも知った。
非常によい経験だったと言える。